「自由民主」11月20日号
株式会社地水社
私は平成元年に東京大学法学部政治学科を卒業し、松下政経塾に入塾しました。二年生の時、行政研修で熊本県庁に行き、地域振興課で当時、県が推進していた「日本一づくり運動」を担当し、人吉市の市制五十周年事業推進室では、地域づくりに参画しました。
その仕事で感じたことは、二十一世紀は水と土の時代であること、地域づくりは東京を目標にしても成功しないということでした。その体験から、私は人生のテーマを水と土を生かした地域づくりと決めました。
同時に私自身は実際に野菜やコメを作ったこともなければ家を建てたこともなく、これでは自立できない、もっと生きる力を身に付けたいと感じました。地域づくりを推進するには耳学問、頭学問では駄目で、自分で現場に入って実体験をしたいと思ったのです。
そこで三十歳を前にして、熊本県阿蘇郡蘇陽町(現・下益城郡山都町)にある(株)地水社に入社しました。佐藤昭二社長は地域づくり活動の中で知りあった方でした。
この会社は新美正先生が提唱した"土壌浄化法"を適用した汚水処理システムを売りとしている設備会社でした。ですから私も社員といっても、一般的なデスクワークをするサラリーマンではなく、毎日朝早くから夕方暗くなるまで、現場での作業を行う配管工。地域の農家を訪れては、穴を掘りパイプを配管して浄化槽を設置し、くみ取り式のトイレを水洗トイレに替えていくといった仕事が主でしたが、当時はやった「危険」「汚い」「きつい」の「3K」仕事もいいところでした。
しかし、おかげでユンボ(バックホー)もユニック車も操作できるようになり、プレート、ランマにエンジンカッター、エアマンと呼んでいたはつり作業に使う大型コンプレッサーなども使えるようになりました。
つらい面ももちろんありましたが、浄化システムが完成すると有機物で汚れた水がきれいな水となって出てきます。私はその変化に感動しながら仕事に励んでいました。
その間、自然農にも挑戦し、三回のコメ作りも経験しました。小さな会社ですから、月曜日から土曜日はもちろん、祝日も朝から晩まで仕事でした。唯一の日曜日には地域の草取りや、消防団・子供会活動に参加しなければなりません。今の田舎生活はかなり忙しいということもこの身で実感しました。
従って、農作業ができるのは平日の早朝しかなく、毎朝五時に起きて畑仕事をし、そのあと朝食をとって仕事に出るという毎日でした。「東大法学部を出て、何でこんなことをしているのか」と言われたこともあります。
しかし、私は東京大学法学部卒に変に縛られて、「あれをしちゃいかん。これをしちゃいかん」と禁止項目を自ら作るのには大きく反発がありました。「今必要と思うことをただ行うのみ」との信念で毎日の生活を送りました。結果として松下政経塾に在塾中よりも、松下幸之助塾主の思いに沿った"よい研修"ができたのではないかと思っています。
充実した毎日の中で私はいつしか、ここに永住しようと決め、土地も購入しました。上下水の配管、電気の配線、基礎打ちや大工仕事に左官仕事も会社でやっていましたから、屋根さえ付けてもらえば、会社の仲間とともに自分で家を建てたいと思っていました。
そんなある晩、帰宅してビールを飲みながら食事をしていると、鳩山邦夫衆院議員(現・法務大臣)の秘書から電話がきて「秘書にならないか」と言われました。私は、熊本で三年生活する間に、これからは水と土の時代であることに、ますます確信を深めていましたが、それをどういう政策で、どのように現実の社会に着地させていくのか、見当がつかないというのが正直なところでした。
このような問題意識を持っているのは鳩山邦夫衆院議員しかいないと思っていたところに思いもよらぬ鳩山事務所からの電話。"天命"かもしれないと思い、秘書になったのが、ちょうど十年前です。
政治家になった今、熊本での体験は私の原点です。この原点に立脚した政治を今後とも目指していきたいと思います。
「自由民主」11月20日号
