月刊誌「地域から日本を変える」(1992年5月号)より
くまもと地域づくり推進協議会会長 米谷正勝(51歳)
「日本一」。インパクトのあるネーミングで全国的に有名になった熊本県の「日本一づくり運動」。全国のモデルとなるようなユニークな地域づくりを目指したこの運動。熊本県さまざまな影響をもたらしたが、この3月、設立された「くまもと地域づくり推進協議会」もその1つだ。
この会は、住みよい地域、魅力ある郷土を築こうという思いを持った人たちの全国的な集まりである。「おぐにみらい塾」「明日の観光大津を創る会」など11の団体の長が発起人となり、熊本をよくするための地域づくりをおこなう。
年会費は2000円。地域づくり情報誌「くまもと地域づくりコミュニケーション」を発行しながら、全国交流会、地域づくり視察ツアー、まちづくりウオッチング、講演会、勉強会、イベントの開催など企画している。
代表の米谷正勝さん(51)=こめたに・まさかつ=の夢は2つある。1つは、明日の熊本をつくる意欲のある「肥後千人衆」を集めること。地域にいる一人ひとりは、日常生活に流され、埋もれがちである。夢や希望をもっていても、情報やノウハウの不足のために、身動きのとれない人もいる。肥後千人衆を集めることはこういった人々のネットワークをつくり、お互いの活動の足元を支えることが目的である。
もう1つは、心と知恵と情報の集まる場、次世代への継承の場としての現代の寺子屋をつくることだ。平成9年をめどに、宇土3都にまたがる雁回山の一部に作りたいという。道徳や知恵などを次世代に伝えるのだ。
■目的をもたないことが目的
米谷氏は、「くまもと地域づくり推進協議会」の目的を「目的を持たないこと」だという。
「本当の大工は、それぞれの役割に一番合う癖木を見つけてうまく組み合わせて作るんだな。その方が、まっすぐな木を集めたよりも、趣があり、縦横の揺れに強い家ができるんだ」。
取材した晩も、米谷さんの家には10人ほどの人たちが集まっていた。彼らは住んでいる地域も、職種もさまざまな人たちだ。さまざまな話が飛び交う中で、その日阿蘇から来た人が作る特産品を、熊本市の川尻で開かれる朝市で売る話が自然にまとまっていった。そして、この日初めて米谷氏と話をした取材のカメラマンも、結局、推進協議会に参加することになった。
■郷土建設の<心おこし運動>
米谷氏は、家業の旅館業を経営するかたわら、昭和59年7月、熊本県青年塾を結成。会長職を今年までつとめてきた。
その目的は
○明るく住みよい郷土建設をめざす「心おこし運動」
○民間の手で自分たちの住む地域を考える「村おこし運動」
○郷土を愛し限りない発展を築き上げるための「人づくり運動」
活動の基本は、「ものよりこころ」。活動には宇土市の歴史を担ってきた船場川を住民の手できれいにしようという船場川クリーン作戦。地元に密着した特産品「うきうき大根」の開発。生涯学習の場である温知館講座の開催など多数のヒット企画がある。
民間の地域づくりグループが県から社団法人の認可をうけるのは大変だった。日本で最初のことでもあり、3年半をかけて一人ひとりくどき、700人の署名を集めた。そして、彼は最後は、こういって県を説得した。「わしらの郷土を思う心に法人ばおろしなっせ」
熊本県青年塾の設立は、昭和57年に行われた宇土市長選がきっかけである。米谷氏は初めて応援した選挙で、敗れた上に、選挙違反者として21日間拘置所に拘留された。長老の裏切りに遭って、結局彼一人が罪をかぶることになってしまったのだ。若者だけが何も知らずに汗みどろになって戦い、損をする。これではいい地域などできるわけがない。21日間の拘留生活を過ごす中で、彼は政治に関係のない超党派の若者グループを作ろうと思いたち「宇城を考える会」を結成。これが、熊本県青年塾へと発展した。
「世の中、事がうまくいくためには、金儲けも地位も求めん、無欲の馬鹿が必要だ。意欲と情熱、そして、馬鹿といわれることに誇りを持つリーダーが必要だ。」
くまもと地域づくり推進協議会はこうした米谷氏の情熱と数々の実践、そして、現実を直視した彼一流の哲学をぬきには語れない。米谷氏は熊本県青年塾を後継者にまかせ、くまもと地域づくり推進協議会に賭ける。
彼の最後の言葉はこうだった。「志で王道を極めるということ。男の背中でしか、人がついてくることはない」。
月刊誌「地域から日本を変える」(1992年5月号)より
