平成二十年一月二十一日
衆 議 院 本 会 議
私は、自由民主党を代表し、福田総理の所信に対し、質問をいたします。
(1.福田政治のめざすもの)
昨年九月末の福田政権発足から三ヶ月半が経過しました。
この間、昨年夏の参議院選挙でのわが党の大敗の結果、衆・参で多数を占める政党が違うという難しい国会状況の中で、総理は当面する政治の最大課題であった新テロ対策特措法を成立させ、また薬害肝炎訴訟を政治決断により解決されるなど、リーダーシップを発揮されました。また、外交面では、訪米、東アジア首脳会議出席、訪中など、各国首脳との精力的な対話により、諸外国による日本への期待を確かなものとし、七月の洞爺湖サミットでの日本の主導的立場への足がかりを固められました。さらに、サブプライムローン問題の影響や原油価格をはじめとする商品市場の価格高騰、急速に進む円高等で市場心理が弱気になっている日本経済の現状を克服するため、14年ぶりの越年国会の中で国会審議と並行して予算の年内編成を実現されました。
これは、衆・参両院のねじれ等、政治状況の如何に関わらず、与野党の枠を超えて国民生活は護らなければならない、との福田総理の強い政治意思を国民に示したものと申せましょう。
さて、先日閉幕した臨時国会までは、総理にとっては、安倍前政権の積み残した課題への対処と、参議院選挙の敗北の原因であり、また結果でもあった政治を運営する管理能力の癒し(いやし)、復元の時期でありました。しかし、今国会からは、福田政治とは何かを国民に明確に示し、〝福田色〟を発揮すべき時であります。国民もまた、それを強く期待していると思います。
総理は生活者の視点で、「自立を基本としながらも、お互いが尊重し、支え助け合う社会を目指し、暖かい政治を行いたい」と常々述べられておられます。施政方針演説をうかがうと、経済を成長させ、その果実を税財政を通じて老後の支えである社会保障や福祉、格差に苦しむ中小企業や地方に配分する姿勢を打ち出しておられます。これらの目指すところは、今の時代における水平的公平であります。一方、今に生きる私たちが今の義務を果たさずに、後世にツケを残す環境破壊や財政悪化を食い止める、環境保全と財政健全化という世代間の垂直的公平も重視しておられます。さらに、各国首脳との対話を通じ、日本が国際社会の一員として、先進国間で協力し、世界の平和、全人類の幸せの底上げに協力していくという、いわば地球規模の公平にも言及しておられます。そして、これらの達成に向け、国民のための政治、国民本位の行財政への転換、即ち行政の意識と制度の改革を訴えられました。
これらの公平、公正を実現するには、日本国の基盤、つまり日本国を構成する日本人の力、即ち人間力、またそこから生み出される経済成長の実現が不可欠の条件となります。現在の日本を見ますと、一旦災害等が起こった時の若い世代のボランティア活動、奉仕の精神等、まだまだ捨てたものではありませんが、伝統的社会規範は、国際化の中での他国の文化や慣習の影響もあり、徐々に棄損されてきています。一方、かつて1ドル360円、1ポンド1008円であった日米、日英の経済力が、日本の経済成長により、ここ40年の間で、1ドル110円、1ポンド210円になったのと同様、かつての昇る太陽と自らも思い込んでいた日本は、中国、インド等に追い上げられ、その経済力の相対的地位は低下しています。これをいかに復元していくか、いかなる理念、政治哲学でもう一度回復させるのか、そしてその中で、共生し、助け合い、安心して生活できる日本を築けるかこそが、国民の期待する福田政治でありましょう。
近現代史は、人間の本性、即ち努力したものが報われるという当たり前の原則に反する社会主義、共産主義を事実を持って否定しました。努力し、創意工夫してこそ社会は発展し、自己抑制と公共心によってこそ、自由競争は美しい社会を生み出します。そのためには自由競争社会、市場経済はこれしかない制度ではありますが、そのやむを得ぬ欠点、副作用を抑えうる良き人間、すなわち品性ある日本人を作る教育の再生に、安倍内閣と同様、いやそれ以上の力を注いでいただきたいと希望するものであります。
少子長寿社会、人口減少時代を抑えてもなお、将来世代にツケを回さないために、歳出の無駄を削り、財政を健全化しながら、あわせて規制改革や技術革新により生産性を向上させ、経済成長を実現する構造改革は、引き続きこれを進めていくべきは当然であります。ただそれが、効率至上主義や弱肉強食社会となることがあってはなりません。総理の言われる「国民目線」での改革もまた国民の期待するところでありましょう。
以上、私の所見の一端を申し上げました。
総理に自らの目指す政治、日本人と日本社会を抱合した日本のあるべき国家像を、総理自らの言葉で、率直に国民に語っていただきたいと思います。
(2.政治の責任-①火の玉になるのは選挙でなく国民のため-)
政治はその目標・ビジョンを明確にし、それを達成する多くの政策を判断する物差し、即ち政治理念、価値観と、その政策を実現してく手法、権力行使の手順の三つから成り立っています。この三つは、絶妙のバランスをもって構築されないと、理論倒れになったり、権力の奪取そのものが目標になってしまったり致します。そこで、衆参両院で多数を占める政党が違うという現実の下で、いかに政策を実現していくのか、すなわち与野党を越えて果たさねばならぬ国民に対する政治の責任について考えてみたいと思います。
衆・参がねじれ国会となって以来、私は「これまでの三つの常識は、三つの非常識となった」と述べてまいりました。憲法が参議院に対する衆議院の優越を定めた首相指名、予算の議決、条約の承認を除き、両院の権限は対等であり、国民の日々の暮らしを左右する法律は、参議院での過半数を占める野党、特に、第一党である民主党が反対すれば、憲法五十九条に定める衆議院の三分の二以上による再議決がなされない限り、一本も成立しません。最早(もはや)、衆参両院で与党が多数を占めていた時の常識は通用しなくなったということであります。
第一に、政府・与党が提出する法案は、たとえ紆余曲折があっても、すべて成立するとのこれまでの常識は非常識となりました。第二に、であるから、「野党の役割は政府与党を批判し、一部の有権者に溜飲を下げさせ、反対することだけだ」との常識もまた非常識となりました。そして三つめには、政策の責任は政府与党にのみあるのだから、「政府・与党を批判するのがマスコミの役割である」という報道の常識も、もはや非常識となったのであります。この常識が通用しなくなったことを、当事者が理解しない限り、日本政治の機能不全は救いがたいものとなるでしょう。
つまり、参議院で議案の可否を事実上決定する権限を持たれた民主党は、国の政治の半分の責任を持つのであり、もはやこの国民への責任から野党も逃げることはできない、との厳然たる現実があるのであります。
立法府の国民に対する責任とは何でしょうか。それは、国民の前で意見や対案を堂々と説明し、その立場を明らかにし、議案に対する賛否を示し、結果について選挙で国民の審判を受けることであります。消費税導入時のかつての竹下内閣の例を見るまでもなく、選挙に有利不利、当面の人気等の党利党略ではなく、長期的かつ総合的に必要なことは、仮に不人気、不利益であっても逃げずに賛否を明らかにし、後世を考え、国民のための意思決定をしなければならないということであります。
先の臨時国会で民主党は、参議院での新テロ対策特措法の審議時間が衆議院のそれを超えているにもかかわらず採決に応じず、会期が二度延長された後の年末ぎりぎりに自らの対案を提出するという挙に出られました。マスコミ報道等では、対案に対する審議不十分を理由に、臨時国会では政府案、対案をともに採決せず、参議院での継続審議にすることをもくろんだと伝えられています。定例日のみの審議に固執し、衆議院よりはるかに長い日数と、衆議院を10時間以上も上回る審議時間を費やしたにもかかわらず、結論を先送りしようというのでは、「参議院は意思決定すらできないのだから、もはや不要だ」との国民の声が高まることは、もっとも避けねばならぬことであったはずです。
民主党の前原前代表は、雑誌「中央公論」の新年度号の対談で、「わが党が対案を作成する際、小沢代表からは与党が到底賛成できないような対案を作れ、と指示されてきた」と語っておられます。「与党が同意できる対案を作って修正成立しても、"手柄"は与党に取られてしまい、結果的に解散に追いこめなくなる、というのがその理由だ」とも述べておられます。もしそれが事実であるとすれば、話し合いにより合意を得るのではなく、国民不在の党略的戦術と言わざるをえません。一月九日の毎日新聞の社説は、「事実ならば、そもそも対案は『政局の具』でしかなかったことになる」と書いていますが、まさにその通りではないでしょうか。
「元来、国会は多数決で意思決定するものだ。ところが、少数党に不当なまでに強大な拒否権が与えられ、内閣が思い切った政策を打ち出すことが難しい」とのかつての与党自民党の有力政治家の主張があります。民主党は参議院では現在、最大の政党ではありますが、野党という意味では衆議院の少数党でもあります。かつて与党の立場であった小沢一郎民主党代表の著書「日本改造計画」でのこのご主張は、そのまま野党民主党にお返しせねばなりません。
自民党総裁として福田総理は、小沢民主党代表と二度に渡って党首会談を行われ、ねじれ国会の下での政治の機能回復のため話し合われました。衆・参で多数を占める政党が違うとの状況の下でも、国民に不安を与えぬ政策を実現するための、両党代表の真剣かつ真摯な話し合いでもありました。個別政策テーマに限った協議、総合的な政策協議機関の設置、さらに進んで閣内協力が両党代表の間で話し合われ、最終的な合意がなされたと伺っています。
しかし、両党を代表されたお二人の合意は、結果的に民主党の党内事情で否定をされたのであります。それ以降の日本政治の展開は、新テロ特措法の参議院での長い長い審議、民主党による継続審議の提案に対する他の野党の反対、そして衆議院での憲法第五十九条による三分の二条項の発動となりました。各紙の世論調査を見ますと、新テロ特措法の成立は「良かった」が「良くなかった」を上回っているもが多いにかかわらず、「三分の二の発動は良くなかった」が多数を占めています。このことは、与野党を含め、三分の二の発動の前に、なぜ話し合いにより解決ができなかったのか―との、与党、野党すべてへの批判ではないでしょうか。
十八日から始まったこの通常国会では、国民生活やわが国経済と密接不可分の二十年度予算や歳出法案が審議されます。こうした重要議案の成立が新年度にずれ込むことがあれば、国民生活は大きく混乱し、サブプライムローン問題や原油をはじめとする商品価格の高騰、円高にゆれる日本経済に取り返しのつかない打撃を与えかねません。また、何も決められない政治状況は、国際社会のわが国に対する信認を大きく傷つけ、株式市場での"日本売り"を加速されることにもなりかねません。
民主党の皆さんが、国民や経済を人質にし、自分たちが思い描く政局の展開を優先させたいと考えておられるとは、私は思いません。民主党の小沢代表は、新年のあいさつで、「火の玉となって、何が何でも衆議院での過半数を実現する決意で総選挙に全力で努力する」との決意を述べられたと伺っております。しかし、われわれ立法府に身を置くものが"火の玉"になるべきは、ただひとつ、衆・参ねじれ国会の下においても国民と国家の安心を確保することではないでしょうか。
民主主義の下での権力は、選挙に勝ち多数を得ることにより行使されます。従って、総選挙に勝つことは最重要なことであります。しかし、権力はあくまで手段であって、目的は国民の安心安全を確保する政策の実行なのであります。権力掌握そのものを目的と誤解することは、テロ特措法の再議決より選挙応援を優先されたのと同様に、決して国民の共感は得られないのではないでしょうか。
先の臨時国会は、終わってみれば政府提出の全法案が成立しました。ねじれ国会をどう機能させるかについて、与野党双方にとって貴重な学習機会だったと思います。われわれ与党はさらに謙虚に、誠実に、丁寧に、国民のために、民主党はじめ野党の皆さんに対して、さまざまな政策協議を呼びかけていかなければならないと考えます。
個別の政策協議であれ、閣外協力であれ、また大連立的閣内協力であれ、与野党が国民のための話し合い、協力してより良い合意を見出し、現状を改革していくことは、他の先進諸国では当たり前のことです。ともに国民のために切磋琢磨し、日々の政治を進めながらも、選挙では、政策の協議、協力の中でどうしても活かしきれない各党の理想を国民に訴えるということでしょう。野党の皆さんにも、現実的な視点に立って、国民のために、ぜひさまざまな形で政策協議に応じていただくよう切に要望いたします。
総理はねじれ国会における政治のあるべき姿、責任についてどのようにお考えでしょうか。また、その政策実現のため、今後とも広く各党に政策協議を呼び掛けていかれるのか、その場合、どのような対応を国民のために、各党に期待されるのか、率直なお考えをお聞かせください。
(2.政治の責任-②年金)
次に、国民の関心事である年金についてお伺いします。いわゆる"中に浮いた"5100万件の年金記録やその他の諸々の問題は、過去40年にわたる自治労と社会保険庁管理者のなれ合い、国民不在の官僚の怠慢にその原因の多くがあります。もちろん、それを見過ごし、適切な手を打たなかった歴代内閣、多くはわが自民党の内閣でありましたが、同時に細川内閣も、自社さ連立内閣の政治的責任も、当然重いと言わなければなりません。
福田総理は、自民党の総裁として、この40年間、もっとも長く政権を担ってきたわが党の責任について、福田内閣時代の失政ではなくても、いわゆる"ポジション・デューティー"として、施政方針演説で国民に率直にお詫びをされました。あわせて、福田総理の時代に、この40年間の宿痾(しゅくあ)ともいうべき失政を、国民の立場に立って、国民が安心できるよう、何としてもその解決の道筋を立てるとの決意を、この本会議場から国民に明言されました。
年金記録問題をどのように解決するお考えなのか、総理の基本的考えをお聞きします。
年金は、自ら保険料を納める自助と税負担の公助に支えられた助け合いの共助の仕組みであり、国民共有の財産です。そして老後の安心の支えです。だからこそ、年金を党利党略に利用することは許されません。まして、ねじれ国会においては、各政党の"良心"が試される問題でもあります。総理は、働く人の代表・連合、働く場の提供者・経済者団体、そして学識経験者など、国民各層の代表が参加する「社会保障国民会議」の構想を描いておられますが、年金を含め、長寿少子化時代の社会保障の給付と負担を全国民の目線で議論し、合意を得て、安心できる将来像を早急に確立しなければなりません。
「国民会議」に託す総理の思い、また民主党の反対により政党代表の参加が危ぶまれていますが、政党が担うべき責任について、総理のお考えをお聞かせください。
(2.政治の責任-③歳入法案)
通常国会最大の焦点は、二十年度予算と歳入法案の年度内成立であります。これらが年度内に成立しない場合に生じる混乱については後ほど述べたいと思いますが、ここでは予算と歳入法案との関係について私の考えをまず申し上げます。
予算とは、元来歳入の裏付けを持つものであり、収入のあてもない、使うことだけを決める予算はあり得ません。歳入があって、はじめて予算が執行できるのであり、その意味で、憲法が衆議院の優越性を定める予算とは、歳入法案と一体のものとして予算と考えるべきではないでしょうか。
憲法八十三条から八十六条に規定されている通り、財政に関する事項は国会の議決を要します。このうち、歳出予算は納税者の代表たる国会が行政府に対し、上限を定めて支出権限を与える行為であります。従って、その権限の限度において、どのような基準で予算を支出するかを示す歳出関連の予算関連法案は、予算の成立を待って、または並行的に審議すべきものであります。しかし、予算書に記述されている歳入は、改正歳入法案に基づく収入の見積もりにすぎません。その限度まで「とるべき」ものではなく、「とってよい」との権限賦与でもありません。歳入欠陥が生じたり、決算余剰が出るのはこの故であります。徴収の権限は、歳入法案の議決により、納税者の代表たる立法府から行政府に与えられるのであります。
このことから分かるように、歳入法案は予算の成立を待って、あるいは並行して審議するべきものではなく、予算の収入見積もりの前提なのですから、むしろ予算案に先行して審議するものと私は考えます。また多くの財政法学者の説もそれを支持しています。中国の古典「礼記」において、「入るを量りて出ずるを為す」と述べているのは誠にその通りなのであります。
国会もこの点については、これまで良識と矜持を示してきました。年度内に予算が成立したにもかかわらず、新年度に歳入法案の議了がずれ込んだことは一度もないのであります。つまり、収入がないのに空の歳出権限を与えるという愚かな意思決定を、野党を含めてしたことはなかったということであります。
十三日のNHKの政治討論会で、租税特別措置法の改正を含む歳入法案を、「何としてでも年内には成立させない」と民主党は主張されました。予算の重要な構成要素である歳入法案を、新年度まで成立させないとの主張は、予算が年度内に成立したとすると、新年度に入っても収入のない歳出予算を議決したという国会史上はじめての致命的ミスを立法府が犯すことになります。
憲法六十条にいう予算議決のいわゆる30日ルールには、本来歳入法案が密接不可分の要素として含まれているとの自覚と自己抑制を持って、私たち立法府に籍を置く者は歳入法案を審議すべきと思いますが、総理の基本的見解と、財務大臣からの法制上の考えを伺います。
(3.「偽」ではない政治、まっとうな政治)
昨年一年間を表す漢字は、恥ずかしいことに「偽」(ぎ、いつわり)でした。耐震偽装、食品の偽(にせ)表示等、国民を偽る、さまざまな事件や問題が相次いだ一年でした。
政党、政治家にとっての品質表示は公約であります。公約は、言った限りは実行しなければなりません。できないことについては、辛いけれどもできないとお断りしなければなりません。年金の問題について閣僚の不用意な発言が批判を受け、内閣支持率は下がりました。参議院選挙で自民党が申し上げたことの発言の真意をきちっと謙虚に国民に説明をせずに、「誰がやって同じ」というようなことは、決して言ってはならないことなのです。閣僚の猛省を促しておきます。
さて、この一例でもわかるように。与党は、政府を預かっていますから、その公約は必ず現物の取引、現品取引です。公約として約束をした限り、有権者はそれを手にとってご覧になるのです。その支払いは必ず現金決済でもあります。商品を作るときには、必ずその財源の裏付けがなければなりません。その財源は、辛いけれども負担という形で国民からいただく訳であります。ですから、与党は商品が駄目なときにはすぐ駄目だと批判されますし、値段が高い時には高いと不満を言われます。十分な説明を謙虚に尽くさなければならない所以(ゆえん)なのです。だからこそ、つじつまのあった偽装ではない公約をしなければなりません。
一方、野党の場合は、政権を担当しておられませんので、公約、マニフェストといっても、それは誰も現実に商品を手に取って見たことは一度もありません。見た目がきれいだとか、耳触りがいいと思っても、実は手に取ってみたら全く違うじゃないかという場合もあり得ます。商品の場合は、実物と違えばクーリングオフ制度がありますが、選挙の場合は、すぐクーリングオフはできません。であるからこそ野党は財源を含め、国民に、真摯に、率直に、その実現可能性を説明されるべきだと思います。
同時に、野党の公約は、財源もすべて約束手形であり、現金決済ではありません。その商品を買うには、一体どれだけのお金を払わなければならないのか、政権を持って税法を提出しない限り、国民には分からないのであります。私達政治に携わる者は、野党、与党を含めて、公約が政治の質を表しているのですから、結果として偽物だと言われないように、与党は心して公約を述べねばなりません。同時に野党の皆さんにも、政治全体の信頼を回復するために、私たちの自戒と同じ言葉を申し上げておきたいと思います。
(野党公約の実現可能性)
そこで、参議院の第一党である民主党の公約の主張について、二つのことを申し上げ、政府の見解を伺います。
民主党は「道路は造るが、暫定税率は廃止する」と主張しておられます。現価格高騰の折柄、道路特定財源にかかわる暫定税率を廃止すれば、揮発油税の上乗せ分約24円30銭と、地方の譲与税分80銭、あわせて約25円ガソリン関係税額は下がります。これだけで話が終われば、私を含め誰にとっても非常にありがたいことです。しかし、同時に民主党の小沢代表は、「道路は全てきちっと作るから心配ない」と言っておられます。いったいどうやってその財源を確保されるのか。
都市部では、例えば東京都心部の混雑緩和のための環状道路やかわいい子供の通学道路のガードレール、いらいらする"開かずの踏切"解消の立体交差事業、地方では救急・消防自動車の通る生活道路等々と、まだまだ道路需要はあります。また、県や市町村の地方財政に暫定税率による収入が約9000億円ありますが、廃止されればその税収も地方自治体に入らなくなります。地方重視を掲げる民主党が、本当にそんなことを考えておられるのでしょうか。
全国に七千万台ある自動車ユーザーの負担軽減を考えるなら、地方財政を混乱させる暫定税率の廃止より、むしろ公明党や自民党が考え、実行に移す自賠責の保険料の9260円の引き下げや高速道路料金の軽減等の方が、地方財政の穴を開け、地方住民の生活を不安に陥れるより、はるかに現実的な方法ではないでしょうか。
民主党の主張への疑問の第二は、年金の将来についてであります。民主党は「基礎年金は全額税で賄うが、消費税は上げない」と主張されています。現行消費税率5%の税収すべてを基礎年金に充ててまかなうとも言われています。
しかし、六十五歳以上のすべての人に6万6千円の基礎年金を支給した場合の所要額22兆円と、消費税5%のうち地方消費税1%と地方交付税として地方に配分されている額を除いた7・5兆円の差額15兆円は、どこからその財源が出てくるのでしょうか。「所得制限をするから対象者が減る」との主張は、「所得の把握は正確にできる」との説明や、すでに保険料を納めている所得制限対象者の扱いをどうするかを明らかにしないと、国民の理解は得難いのではないでしょうか。また、「無駄をなくせば財源は出てくる」という抽象的、情緒的説明では、財源にはならないのではないでしょうか。
真剣に年金の将来を考えるのであれば、財源の明確でない公約を振りまくのではなく、民主党の皆さんも総理の呼びかける「社会保障国民会議」に参加され、ご一緒に国民のために議論をしようではありませんか。私は、基礎年金を全額税方式にすることには個人的には賛成ではありませんが、基礎年金が安定し、信頼される制度となるには、公約資金の投入拡大は不可欠であり、その財源はすべて国民が消費に応じて負担する消費税によることが最もふさわしく、公平だと考えています。
年金の将来像について、総理のお考えをお伺いいたします。
(予算・歳入法案は与党公約実現の裏付け)
以上、民主党の公約の実現可能性について若干の指摘をしましたが、この通常国会で審議される二十年度予算や歳入法案、予算関連法案等は、すべて与党の責任ある公約を、財源を明示し、具体的に国民生活に活かすものであります。地方を重視し、事業承継など中小企業対策を手厚くし、教員増員など児童・生徒の立場に立った教育再生の推進などを盛り込んでいます。政府・与党のこれらの施策は、限られた財源の中ではあっても実現可能なものです。この国会で、主権者たる国民の代表である同僚議員の、予算および予算関連の歳入・歳出法案についても、つじつまのあった議論を期待したいと思います。
中国の人生訓である菜根譚は、次の一説から始まります。
道徳に棲守(せいしゅ)するものは、一時に寂寞(せきばく)たり、
権勢に依阿(いあ)するものは、万古(ばんこ)に凄涼(せいりょう)たり。
むしろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取ることなかれ。
この一説を政治家や政党の立ち居振る舞いに置き換えて考えると、国民に目前の利益を訴え、仮に票を得ることがあっても、長い目で見れば筋を通したほうが結局は国民から評価される-との教えであります。
かつて、内閣支持率が落ちても消費全導入に踏み切られた故竹下総理は、「消費税がなければ日本の財政や社会保障はどうなっていたかな」と、いま天国で日本政治の現状を見ておられるのではないでしょうか。政治に携わる者は、与野党を超えて本物の政治、まっとうな政治を進めるため、謙虚に、心して政治に携わっていこうではありませんか。
以上申し上げ、私の質問の結びといたします。
(以上)
